ベトナムは1887年から太平洋戦争終結の1945年頃までフランスの植民地下にされ、フランス領インドシナとして位置づけられておりました。その名残は、大都市のホーチミンやハノイの食文化や建築様式に顕著に表れ、他のアジアの都市とは少し違う独特に雰囲気を醸し出しています。
目次
①フランス占領の時代
フランス領インドシナの時代では、ベトナム国民は厳しい生活を余儀なくされました。不平等な関税制度とともに農地や土地はフランスに支配され、農民たちは小作農民として重労働や重税が課せられ搾取されていました。フランス同化政策として、教育面ではフランス語のカリキュラムが導入され、これまで使っていた漢字は禁止、代わりにアルファベットを使ったベトナム語表記のみが許されました。現在では漢字は一切読めないベトナム人が一般的となりました。ベトナム語の声調は6つあります。著者は香港で2年間生活しており、広東語の6声(正確には9声)と通じるものがあると感じています。
②フランス占領時代の名残りを示す数々の建築様式
ベンタイン市場
1914年に完成したホーチミン市の市街中心地に位置する市場。
建物の中は小規模な店舗が密集し近隣で作られたアオザイやバッグの他に特産物のお店が豊富。隣接の通りでは夜市が開かれ海産物やお酒を楽しむことも出来る。現在ではメイン観光地となった。
サイゴン中央郵便局
1891年に完成したエッフェル設計による郵便局。
当時は、フランス領インドシナの郵便・電信施設とされており、観光地となった現在でも郵便業務が営われている。
サイゴン大教会(聖マリア教会)
1880年にネオ・ゴシック様式として建築された教会。
建築に必要なレンガなどは、すべてフランス本国から運び込まれた模様。
オペラハウス
1898年に建設されたバロック様式の建物。
上部の天使像やエントランス両脇の女神像が印象的である。
ベトナム戦争時には南ベトナムの国会議事堂として使用されたものの、現在では再び劇場となり市民の憩いの場となっている。
人民委員会庁舎
1908年に建設された市庁舎。
内部には入れないもののライトアップされホーチミンを印象付ける建物となった。
建物の前には独立の父として今なお敬愛されるホー・チ・ミンの像がある。
③フランス料理の美味しさはアジア随一
フランスによる支配によって食文化にも大きく影響を受けました。フランス政府は占領するとただちに本国から一流のシェフたちを招き、本格的なフランス料理をベトナムでも再現しようとしました。そのためフランス料理がとても美味しい国になりました。一般市民に浸透したものがバケットを始めとするパン類です。「バインミー」、これはバケットを縦に開いて、大量のパクチーを入れ、さらにパテ、鶏肉、目玉焼きを挟さつま揚げなどが入っています。フランスパンのサクサクとした触感、おいしさに加え、いかにもベトナムらしい具材と味付けに魅了されます。とても甘いベトナムコーヒーも有名で、バインミーと合わせて、ぜひ一度楽しんでください。
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